努力の思い出
※死ぬほど長い上に乱文でかつ自分が努力から逃げる言い訳みたいな気持ち悪いものです。究極に時間が余ってたらこんな人間もいるんだな〜くらいに読んでみてください。
この間努力することが怖い、ゴールに到達できるのか考えると時間をかけるのが恐ろしくて億劫になる〜云々のツイートをしたら意外と反応があったので描いてみることに。
同じように考えて新しいことを始められない人もいれば、挑戦すること自体が大事って前向きな人、焦らず始めるまでの下準備をしっかりとすることで解決するんじゃない?と言ってくれる人、様々いました。SNSナイス。
自分の両親は結構頭がいい。
母に関してはどれもプロレベルではないものの書道(段位持ち)、お絵かき、ピアノ(絶対音感持ち)、そろばん、料理、マラソン、バスケ、生け花少々…とまあ習い事クイーンのような網羅の仕方をしていて大抵のことは人並み以上に出来るし、四人兄弟の長女なので世話焼きで先回りでテキパキ行動する人だ。
完璧人間に近い、先に言ってしまうと自分にとってコンプレックスの塊であり、わけあって”こういう人間にはなりたくない”の像として掲げてた。
(母のことが嫌いなわけではなく、むしろ今は好きです。)
私は生まれは東京で、記憶がうっすらあるような年齢の幼稚園の一年目は父の仕事の転勤で大阪にいた。
昔からペンを持つことは好きだったのか、親が持たせていたのかわからないけれど絵を描いたり落書き帳が好きだった。
大阪から埼玉に来た時に色々ショックなことが重なって子供らしくない歪んだ考え方をするようになります。断片的にしか記憶がない幼稚園時代の話はすっ飛ばして、小学生の時の話。
(幼稚園年中さんの途中でまた父の転勤があり埼玉に引っ越し。小学生に上がる頃さらに埼玉内で引っ越し。)
小学一年生時点で私のしていた習い事はピアノとアトリエ(簡単な工作教室みたいな)だったかな。
母は自分ができたことは自分の子供なんだから最初から才能があって出来ないはずがないって考えをもってた、多分。学校の宿題とか提出物類に書く文字はとにかく綺麗に書くのよって毎回言われてたので、わざわざ鉛筆の尖り具合が悪かったら削り直したりして書いた。
これは埼玉特有の物?らしいんですけど「硬筆」っていう小学生低学年が4B以上の硬い鉛筆で書く授業があった。書道の鉛筆版って感じかな。
お手本を横に並べて紙の下にソフト下敷き引いてすっごい力入れて文字を書く。
前述の通り文字は綺麗に書けと躾されてたおかげで小学一年生の時は学年で最優秀賞をもらった。(※小学一年生の自分は金賞が一番上だと思ってました)
結果主義の母はとんでもなく喜んでいた。
自慢みたいになってしまうけど最後まで読んだらそういうことねってなると思うので許して…
二年生では少し下がったけどたしか優秀賞、三年生も何かしら賞には選ばれた。
ピアノも習っていたので先生に頼まれて、一年生の音楽の授業で鍵盤ハーモニカで全員で演奏するときのピアノの伴奏とかやったらしい、全く記憶ないけど。さらにどうでもいい情報。授業参観の時は前に出るのが恥ずかしいから無理ですと他の人に押し付けたらしい、最低。ピアノは練習が嫌いすぎてさぼってたので先生をイライラさせていたんじゃないかなって思う。
そんで問題の四年生以降の話。
硬筆でも書道でも全く賞に選ばれなくなった。
ピアノも他の人が当たり前のように伴奏している。
書道教室に行って努力している人達が選ばれるようになってた。いつの間にか。
そうでなくてはいけないし、そうなってくれてよかったと思った。
振り返ったら自分は明確に目標に向かって努力していたわけではないし、たまたま周りより早く触っていたからだし、母の育て方で気づかぬうちに備わってたスキルで済ませてた。
ゲームで例えると最初にもらった武器がたまたま強かったり、育て屋に預けておいた分ちょっと強くなってた感じ。周りの人が自力で少しずつ育てている間自分は何も手をかけなかったから気づいたら置いていかれてましたみたいな。
もちろん母には怒られました。あたしの子供なんだから習い事してなくてもできると言われる度に余計嫌になった。でも少しの間でも大勢の中から選ばれるようなことが起きていたのは紛れもなく母のおかげだった。
少し頑張っただけで賞がもらえていた時は意識したことがなかったのに、順位が表示されるものに対して恐怖を抱くようになった。もし自分が今から頑張ってもこの人達に追いつけなかったら恥ずかしい、怖い。結果が確実でない努力をすることが怖いと考えるようになった。
話は変わるけど中学生になる。
学年は小学校のメンバーがほぼ全員持ち上がって別の小学校から本当に少数10人くらい加わった構成。
自分のいた小学校は教師に好まれそうな当たり障りない普通の子がほとんどだった。特徴がないというかみんな平均的な感じなので平和も平和だけど。
その少数の加わってきた人たちがなぜか全員尖ってまして、足がとんでもなく早い人とかヤンキーの子供なんだなって見た目の子とか笑
で、私があっけに取られたのは二人の女子。
二人ともとんでもなく素敵な文章を書く。衝撃的だった。
中学では夏休みの宿題で作文をいくつかの選べるテーマのコンクールに提出するわけなんだけど、入賞以上の人の作品だけまとめられてる小冊子みたいなのが配られる。
国語の授業でも文章を書く機会は頻繁にあったので、そういうちょっとした文章でもよく書けてる人たちのものが纏められた紙が毎回配られた。
その二人の文章はどんなジャンルの文章でも必ず載ってた。
男子とか「こんなのいちいち読まね〜よ〜」って言ってたけど自分はその二人がどんな文章を書いたのか読むのが実は楽しみだった。
自分知らない世界を知っている人は好きだ。
特に好きだったのが新聞の記事に対しての意見を書く文章。よくある小難しい単語を並べた理屈っぽいものじゃなく、ちょっと違う視点からさしこんだもので思わず「へー」と声をだしてしまいそうな。二人とも本をよく読むから知識も多かったんだろうなー。
こんな風に涼しくて面白くて自然で読みやすい文章を書いてみたいって思った。
バックに大人の人間がいることを匂わせるような文章は書きたくなかった。
中一夏休みの宿題私の書いた作文は母のチェックで推敲された。(アンマリオオヤケニイエナイヤツ)いや自分から変な箇所がないかだけみてくれないかってお願いしたんだけど。まあ自分ではこんな言葉使わないなあって言い回しとかたくさん入れた。
結果選ばれてしまいます、さっき書いた小冊子に載るんよw
そこで違うコンクールに応募して選ばれてた彼女達の作品を初めて読んで虜になります…
中三の時初めて最初から最後まで自力でチャレンジしたい!と思って「水に関する作文」に挑みます。自分だけの言葉で書いて良い作品ができたら今度こそ正真正銘自分の力だし、ね。
好きな国語の先生には色々聞いたし添削もしてもらった。良い先生なので素材を生かしてほとんどそのままの状態で変な箇所だけ直してくれた。両親も夏休みの宿題みてあげるからって声かけてくれたけど作文だけはこのまま出すと拒んだ。
結果です。
特別賞でしたw
大賞とかじゃないんだけど特殊な賞だったので芸術家の方が私の文章からイメージして描いてくれた表紙と自分の文章が載ったカバーの本が届いた。たかが一本の作文だけどやりきった、安心した。
それでこの結果を母様に報告したらですね、
国語の先生がうまく直してくれて本当によかったね!
と言われました。
母も若かったんで冗談のつもりとか、自分に相談してくれなかった嫉妬?とか色々あるかもしれないけど、なんかここで言葉に表せないくらい虚無になって心が終わりました。
いつも習い事でもなんでも頑張れば絶対もっとできるのにって声をかけてくるのにこのタイミングでまるで努力関係なく「先生の力」みたいに言われて心が死にました。頑張っても認められることなんて無いじゃーーーん。
多分親はそんなこと言ったって覚えてないし、恐らく言葉を放った瞬間も深く考えてない。
憧れてる人達と近いものを作るために頑張ったけどばかばかしくなってしまって笑った。
終わってから気づいたけど多分これ作文で選ばれたいとかじゃなくて母に自分のことを認めて欲しくて本気になってたかな。
こんだけながーーーい文章で何が言いたかったの?
改めて考えると拗れた受け止め方をしすぎだし、たかが一回何かあったくらいで甘えてんじゃね〜〜〜って感じますね!誰でも何かしらでつまづいたりしてるでしょうに!
すぐに楽な方へ逃げようとする癖直さないとな…
自分のことをあらかじめ低く評価しておくことで保身するのに必死だよ^^;
自分視点だと母が悪者みたいな書き方にどうしてもなるんだけど別に今となってはどうでもいいんです。でも何かつまづいたりした時にどうしても思い出しちゃうんだよね。
母はあれでいて年を取ってからは「自分は本当に器用貧乏でどれも極められなかった一般人だ」と自身のことを評価してるんで、若い時はいろんな面でプライドが先行したのかなとか勝手に考えちゃった。
あとは母の遺伝だと思うけど絶対音感(使わなくなったら死にました)がピアノやってた頃はすごく役にたったし、こんな食生活でもソフトデブくらいで済んでるのも母のおかげだな…w
自分の軽い気持ちで放った言葉も知らないうちに誰か傷つけているかもしれないし改めて気をつけなくちゃ(重い)
すっっっごいくだらないこととか、ほんの一行くらいでフフっと笑っちゃうような文章さらっとツイートしていく人も言葉選びとか普段の生活からタネを見つけてくる能力すごいな〜って憧れちゃいます。本当にしょうもないことだからツボが似ているだけなのかもだけどw 文章の話になってきた。ねむしぎて
ここまで読む人いる…?