祖父が亡くなった話

昨日祖父が亡くなりました。

 

 

 

 

先週父が実家に帰った際に

祖父祖母から預かってきたという

私の誕生日祝いの封筒に

???る?となる金額が入っていたので

「明日死ぬんかと疑う金額のお祝いもらったのだが?」

というツイートをしかけました。

 

あまりお金のツイートはしたくないなと

思ってそのまま消して良かったです。

世界一不謹慎なツイートになるところだった。

 

そしてよく見たらすごい額の方は

祖父じゃなくて祖母でした。

 

 

 

 

お葬式に参加した回数は少ないですが

毎回亡くなった方の大きな写真が

ドーンと飾られている横で

親族が小さく悲しんでいる光景だけで

グッとくるものがあります。

そもそも人の死に対してさほど考えたことも

ないような若い年齢での参列だったので

ビジュアルによる印象しか残っていません。

 

 

前も書いたかもしれませんが

幼馴染のお母さんが

小学生低学年の時に亡くなりました。

お通夜で絶叫する彼の様子を

みんな見ていられなかったと

私の母から話だけ聞き、

どうして人は望まない時に死んでしまうのか、

どうすればいいのかわからない

ぐちゃぐちゃドロドロとした感情が

溢れてきたのを思い出す。

元より拗らせていた幼馴染の性格が

一層ひねくれてしまうのですが

私は周りの子がどんなに性格が悪いと言おうと

「お母さんが早くに亡くなっているのだから」

とどうしても悪く思えなかった。

家族でもない私でさえこれだけ辛いのだから

彼はどれほど辛かったかわからないなって。

1番残酷な見方をしていたのは私かもしれない。

 

今では幼馴染が毎日ストーリーに

日常の切り取りを漫画仕立てで

アップしてくれるのがひそかな楽しみです。

 

 

 

生命の循環を見ると私は幼少期より

鋼の錬金術師の宗教に入っているので

「一は全、全は一」

を思い出すのです。

 

更には最近藤井風の宗教にも入りましたので

「わたしのいない世界を 

 上から眺めていても

 何一つ変わらず回るから 

 少し背中が軽くなった」

わけですよね。

この人20代でこの歌詞書いてるんですから

本当に恐ろしいですよね、好きです。

 

 

最近何かの記事で読んだ民族の言葉?で

(曖昧すぎる)

生まれた時は自分が泣いて周りは笑顔、

死ぬ時は自分が笑顔で周りが泣いているような

人生をおくりなさい

というような感じの言葉を見て

はぇ〜〜〜^ になりました。

 

 

先日母が

「お誕生日帰ってくるかわからなかったから早めのおめでとう!!沢山人がいる演出〜〜(身体の色んなところで拍手をする)」

と謎に頑張り祝ってくれて

笑っていたところでした。

 

 

私は悲しんでもらおうなど思いません。

せめて自分が死ぬ時は誰かを笑かして

死んでいけたらいいです。

もっと難しいか!w

 

 

人が死に悲しむ人もいれば

同じ瞬間に素敵なライフイベントで

喜んでいる人もいるのです。

ハッピーニューイヤー!!